ミツバチのキス

おもしろかったー。漫画アクションの新人賞出身だそうです。
読了時に聞いていたのが相対性理論「バーモント・キッス」だったので、あまりの出来すぎ具合に笑ってしまいました。

ミツバチのキス 1 (アクションコミックス)

ミツバチのキス 1 (アクションコミックス)

触れた人のことが「わかってしまう」少女……。彼女は、望んで得たわけではない能力が、ある団体の思惑に利用されていることに耐えられず逃亡をはかる。一方、別の“組織”は彼女を諜報活動の切り札として抱え込もうと動き出す……。

特異能力者の孤独を描いた作品となると、筒井康隆七瀬シリーズなんかが有名どころでしょうか。
他人のことを「わかってしまう」がゆえに傷つかざるを得ない。

知らないってのは幸せだぞ?
人は何かと知りたがるが 相手が見えないからこそのホレたハレただ
認知力の限界あっての心の安寧 恋だって芽ばえる
全てがわかるなんて ろくなこたねぇ

いや…いいんだ
かわいくなんかなくて
一生一人で生きていくんだから

ら、LOVEずっきゅん!


えーと、本作品の特徴としては、触れる/触れないことそのものにサスペンス性がうまれ、視覚的にも緊張感が出てきている事でしょうか。

「水中の魚まで見えるトンビ」「野球(高校野球と、少年たちの野球ごっこ)」「レンズ(監視カメラと天体望遠鏡)」など、モチーフの使い方も見事。


サブタイトルは「kiss me deadly」ということですが、
この衝撃はアルドリッチというよりは、それこそ万田邦敏「接吻」並。
一巻目で話にひと区切りついていますが、今後が気になる作品です。

エンジン・サマー

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ


谷川俊太郎「芝生」


復刊されたため、五年ぶりくらいにエンジン・サマーを再読。


エンジン・サマー (扶桑社ミステリー)

エンジン・サマー (扶桑社ミステリー)


機械文明が失われた世界を舞台にした、少年の旅の物語。
それに加えて、寓意についての寓話、物語ることについての物語でもあります。


「エンジン・サマー(機械の夏)」というタイトルひとつとっても意味深です。


作中でこの言葉は、「インディアン・サマー(小春日和)」が訛ったものとして使われています。
インディアン・サマー」という言葉自体は、晩秋に暖かい日和が続く日のことを、インディアン(ネイティブ・アメリカン)が冬への備えとして喜んだ事が語源となっているそうで、それはそのまま、機械文明の冬への支度をしようとする人間たちの姿へと重なります。


また、物語の語り手である少年〈灯心草〉たちが、「系(コード)」と呼ばれるトーテムに似た部族に別れて生活し、「パン」と呼ばれるパイプのようなものを吹かし、ドラッグでトリップする様は、ネイティブ・アメリカンを意識して描かれていますが、「インディアン」という言葉は、作中世界で死語となっており、タイトルからも失われています。
(「インド人」という元々の意味を考えると、それは「二重の意味で、永遠に」失われているといってよいかもしれません)


代わりに使われている「エンジン」という言葉が象徴する機械文明は、「嵐」と呼ばれる大破壊を経て失われつつあり、「機械の夏」は終わりを迎えています。


言葉の上で失われたものが存在し、言葉の上で存在しているものは失われている世界。
そういった事を一言で表している、名タイトルだと思います。

老舗めぐり

お昼に会社から坂を下り、神田須田町の「まつや」に行こうとすると、土曜だったためか行列が出来ていた。そこで近くの「藪そば」に行き、牡蠣蕎麦を食す。
大変お上品な味だったが、量もお上品だったため、会社に戻る途中に「近江屋洋菓子店」でシュークリームを購入。コストパフォーマンスに驚く。「さりげなく、ただしく」ある正統派の味。


午後はゆるゆると仕事をこなし、夕方から湯島の「シンスケ」へ。
煮奴鍋や海老しんじょ、白子なんぞをつつきつつ、両関をお燗でいただき、ラーメン「大喜」で〆。


どこぞの観光客のような土曜日でございました。